2016年5月7日

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春から続く咳はどんどん酷くなった。

気休めにしかならないのど飴は、もはや一日2本(10個入り)のペースに。

それでもまだ、この頃は煙草を吸いながら、コーラとレッドブル、缶コーヒーを飲んで仕事を続けていた。

4月からは仕事もさらに増え、ゴールデンウィークにはレギュラー番組の公開生放送スペシャルも担当した。

 

公開生放送は、いつものスタジオと違って、局内の特設ステージから行われる。

普段は咳き込みながらキューを振ってもオンエアには乗らないけど、ステージの上、パーソナリティーの隣でインカムをつけながら番組を仕切っていくのだから、とにかく放送中に咳き込むわけにはいかないのだ。

 

一度大きく咳き込むと、どんどん咳が激しくなるので、のどの痛みやかさつきを逃がすように、合間合間で空気を逃がしながら、4時間近くの公開生放送を、大量ののど飴と水で何とか乗り切った。

 

この公開生放送を終えたとき、さすがにこのまま仕事を続けては悪化するばかりだと気づき、クリニックに行こうと決めた(遅すぎ)。

仕事場の近くにしようか迷ったが、前回、足に発疹ができたとき、仕事の合間に渋谷のクリニックに行ったら大混雑でどえらく待たされたので、今度は家の近く、それも開業時間に合わせて行けば、そんなに待たされることもないだろう。 

 

家から徒歩3分の耳鼻咽喉科のクリニックの扉を開けたのは、2016年5月7日のことだった。 

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クリニックまでの通り道にあった、むき出しの配管がとてつもなく魅力的な建物は、その後、いつの間にか取り壊されてしまった。

2016年3月

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2015年の年末から2016年にかけての年末年始は、60分の録音番組Dが2本、120分の録音番組Dが1本、9時間の生放送(現場統括)が1本、さらに不定期収録の50分の録音番組Dが5本、と立て込んでいた。
そんな中、2月からの新番組、4月からの新番組の立ち上げも始まっていく。

この時点で、レギュラーで週に1本の4時間生放送D、週に1本の80分生放送の音響効果、そして週に1本の30分録音番組D、月に1本の録音番組を担当していたので、20〜30代の頃以来、かなりハードなスケジュールになった。

で、2月に入れば、現場統括しているレギュラー番組が週4本加わり、さらに3月にはさらに大きな特番があり、4月からはスタジオ立ち会いする番組がさらに増え……と、2016年の春は怒涛のように過ぎていった。

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気が付いたら、11月〜年末にかけて気になっていた「足の痒み」は全く気にならなくなっていた。
しかし、この頃になると、とにかく咳き込むことが多くなり、「のど飴」が手放せなくなっていた。
幸い、ブースの中に入る仕事は少なかったので何とかなったものの、 気が付くと、コンビニで毎日100円くらいののど飴を買っても足りないくらいになっていた。

これが、「2度目の前兆」、いや、「すべての始まり」であったことを、後から知ることになる。

2015年11月

この頃から、足(膝下から指先まで)に時々痒みを感じるようになった。
痒みは次第に強くなり、膝から下が真っ赤になって、掻いても描いてもおさまらない。

ある日、渋谷で仕事をしていたので、ネットで渋谷にある皮膚科のクリニックを検索し、行ってみることにした。

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クリニックのすぐ隣は、こんな昭和な雑居ビル。

 2時間くらい待たされて、やっと診察。

「蕁麻疹ですね。蕁麻疹は原因がハッキリしないんです。アレルギー止めの飲み薬と痒み止めの塗り薬を出しておきましょう」

若い先生にそう言われ、その日は帰宅。
ここから毎日、足に痒み止めを塗りたくってから靴下を履き、それでも足首や脛を掻きながら仕事をする日々が続く。

月末には出張もあったので、新幹線の中、移動車の中、取材・収録中、宿に帰ってから、とにかく痒みと格闘しながら、仕事中は集中力を落とさないように必死だった。

年が明ける頃になって、やっと痒みが我慢できる程度に収まってきた。
きっと、これが最初の「前兆」だったのだろう。